04:閉じた世界で - 2/3

 ガラスを割るほどの喧嘩は、さすがに無傷では済まなかったらしい。
 重い腰を上げて審神者が現場に駆け付けると、割れたガラスで腕を切った加州が血を流していた。
「すまんちや……」
 主の登場で、途端にしおらしくなった陸奥守が、うなだれながら謝罪を口にする。
「ガラスも割れたし、もうこれでおしまいね。陸奥守……は怪我はなさそうね。加州、腕見せて」
 割れガラスの前に座り込む加州へと、審神者が慎重に歩み寄ろうとすると、
「主っ! 危ないき下がっちょけ」
 陸奥守が慌てて制そうとする。審神者はそれを片手で制して、そろりと加州の傍らにやってきた。
「大丈夫だよ。……破片はー、刺さってなさそうだね。とりあえず洗い流そうか。立てる?」
 加州の腕をとってまじまじと見分し、洗い場へと促す。彼は無言のまま大人しく従った。
「ガラスは二人に弁償してもらうからね」
 加州と陸奥守の顔を見比べながら言う審神者に、両者は神妙そうに頷いた。

 

 近場にあった井戸に連れて行くと、水を汲んで傷口を洗い流す。何度かその行為を繰り返してると、もういいよと加州からストップがかかる。
「……ごめん」
 ばつの悪そうな声に、審神者は苦笑した。
「ほんとに。ただでさえも資金繰りに苦労してるんだから、喧嘩して物品破壊はやめてよね」
 軽口をこぼす審神者に、加州はさらにうなだれてみせる。しゅんとした姿を見て、審神者は笑い声を漏らした。
「うそ。いや、ちょっとは本音もあるけどね。まあ、そうやって言いたいこと言い合ってぶつかりあって、最終的には分かり合ってもらえたら許す」
 行こうか、と手入部屋へと促す。加州は無言でついてきた。
「……理屈では分かってんだけどね」
 しばらく歩いたところで加州がぽつりとつぶやいた。審神者は肩ごしに振り返り、うんと一つ相槌を打った。
「でもやっぱ……すぐには無理」
「だろうね」
「だったらなんで」
「二口とも強情そうだから、荒療治がいいかなって」
「荒療治すぎ」
「やっぱり?」
 審神者は自嘲気味に笑う。でもねと付け加えた声は、苦々しくも期待に満ちていた。
「第一部隊に陸奥守がいて、第二部隊に加州がいる。めぐり合わせかなって思ったの。困難を乗り越えて手に入れた関係性は、かけがえのないものに……なったらいいなーって」
 審神者はくるりと振り返って、加州の方を向いた。
「最初に言った通り、私は初期に顕現された刀を本丸の中枢に据えたいと思ってる。あなたたちが、私の本丸の中核として運営を担っていくの。陸奥守には初期刀として、第一部隊の長として全刀剣男士の取りまとめ役になってほしいと思ってる。加州には、それを支えてほしいとも」
 期待を込めて言うと、――加州は一瞬赤い瞳を大きく見開き、そうして次の瞬間、なんともばつの悪そうに視線を外した。
「買いかぶりすぎじゃない?」
「いいえ。私はちょいと頼りない主かもしれないけど、私の刀剣男士は違う。それはもうはっきり分かってるから、希望的観測でも買いかぶりでもございません」
「根拠は?」
「直感」
「なにそれ」
 加州は唇をへの字にして不服の意を表す。審神者は笑って返し、馬鹿にしないでと突っぱねた。
「審神者の直感なめたらいかんぜよ。だてに霊力を持って、あなたたちの主になったわけじゃないんだから」
 手入部屋の戸をすぱーんと景気よく開けると、審神者はさあ、と加州を促す。
「まあそう言うわけだから、これからもよろしくね」
 手入れ道具を寄せながら審神者が言うと、加州はぽかんとしていた表情を、徐々にほころばせていく。
「なにそれ。……主も結構、大雑把なとこあるんだね」
「も、ってなに?」
「初期刀と一緒」
「え~……そうかな。私は下から上に掃除しないよ」
「あいつホント、そういうとこ大雑把でやんなるよ」
「あ、でも坂本龍馬の佩刀だからね。確か龍馬ってお坊ちゃんだったよね? お掃除なんてしたことなかったのかもね」
「ま、俺は河原の子だから~」
「経験豊富で頼りになります」
 ぽんぽんと流れるようなやり取りが心地よい。審神者は上機嫌に手入れを始めた。
「そういえばさ、」
 加州が何気なく問いかける。「主はさ、なんであいつを初期刀に選んだの」
 唐突な問いに、審神者はぴたりと手を止めた。目をしばたきながら加州の方を見ると、彼はどこか意地の悪い顔つきをしている。
「俺のこと、選んでくれなかったじゃん」
「……悩んだよ、とっても」
 ぽつりと呟き、そうして手を再開させる。
「正直、誰とでも上手くやっていけるかなっていう自信はあったよ」
「経験上?」
「経験上。初期刀となりうる五口に、性格に難のある者はいないから」
 加州は語る審神者の横顔を、まじまじと見つめている。その視線に気づき、彼女はかすかな居心地の悪さを感じつつも、笑ってそれをごまかした。
「でもね……。なんだろう。明るさが欲しかったの。私、根が暗いから思いつめちゃうところがあってね。底抜けの明るさで、うじうじ悩んでる私を、なんちゃあない、って笑い飛ばしてほしかったんだ」
 そこで、一瞬沈黙が流れた。
 気まずくなるより先に、加州がふうんとわざとらしい声を上げる。
「ま、それならアイツが一番適任かな。俺はそんな、無責任に励ませないし」
 ちくりとした皮肉が、しかしどこか優しい響きを持っている。審神者はそれをありがたく享受する。
「でも、加州が来てくれて本丸が華やいだよ。正直なところ、最初は男臭くてかなわなかったもん」
「そりゃ可愛くすることにかけて、俺の右に出る者はいないからね。これからもどんどん可愛くデコっちゃうよ」
「ありがとね。その調子でお願い」
 笑いをこらえながら審神者が答えると、
「ま、アイツには無理だからね」
 加州がわざとらしく付け加える。審神者は首を傾けながらも、そうだねと頷いた。――手入部屋の外。息を詰めていた来訪者が、人知れず去って行くのを、審神者は知らない。

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