04:閉じた世界で - 3/3

 第二部隊の育成が――一部暴風雨に見舞われながらも――想定期間内に終わり、ほっとしたのもつかの間であった。
 第三部隊を結成しようとした矢先、本丸に急遽担当官が来訪し、審神者との面談がセッティングされた。数日前にも会ったに関わらず、だ。
 担当官は、応接室にやってくるなり、やさしげな顔に困った色をにじませたものだった。怪訝に思う審神者をよそに、最近どうですかというザックリした問いかけから始まり――とうとう、本題に入った。
「秋月さんの本丸での、刀剣男士の育成状況についてなのですが」
「はい」
「現在、総数が二部隊十二口……各々の練度は申し分ないのですが、ただその……」
「育成が遅い、ということでしょうか」
 なんとも歯切れの悪い言葉に、審神者がすっと指摘すると、担当官はどこか気まずそうにはい……と肯定した。
「決して比べるということではないのですが……。同時期に就任した審神者と比べると、手持ちの刀剣男士数がいささか心許ないといいますか……。やはり、刀剣男士の層は厚いに越したことはないというのが、セオリーといいますか……」
 話しながら滝のような汗を流す担当官に、審神者はなんとも言えない気持ちになった。
 当初、この担当官は審神者の語る本丸の運営や刀剣男士の育成方針について、
「それは新しい試みですね。本丸は自身の城なのですから、審神者のやりたいようにやればいいのです。私は応援していますよ」
 このようにいたく賛同し、時折訪問しては近況を聞き、あたたかく見守ってくれていたのだが――突然の来訪と、この言いにくそうな様子をみるに、おそらく上層部から圧をかけられたのだろう。
 普段にはないしどろもどろとした様子を見ると、もしかしたらかなり強く叱責を受けたのかもしれない。あるいは、なにがしかの処分をチラつかせて、脅されたとか。
 時の政府がそこまで黒いとは思いたくもないが、上層部にも強い影響力を持つ師のもとで修行し、それとなく見聞きしていた身だ。あながちそうでないとも言い切れない。
 転瞬、審神者は考え込んだ。そうしてやるせない思いで、視線を伏しがちにさせる。
「……ご意見ごもっともです。刀剣男士の育成に力を入れ、戦力強化につとめてまいります」
 絞りだすようにそう告げると、担当官はどこか安堵した様子で、よろしくお願いしますと頭を下げた。

 

 そうしてその日、審神者は刀剣男士全員を広間に集め、今後の方針について所信表明を行った。
「みなの頑張りで第二部隊の教育もつつがなく終わり、まずは安堵しています。お疲れさまでした。今後は第三部隊を結成し、第二部隊に教育の任を請け負ってもらう方針でしたが、ここで少し方向転換をします」
 主の言葉を受けて、刀剣男士がより注意深く上座の方を見たのがわかった。幾多の視線を受けてややたじろぎながらも、審神者はつとめて感情を心の奥底に丸め込んで、言の葉を紡ぐ。
「第二部隊の教育がスムーズに進行したことを鑑み、今後は二部隊十二口ずつ鍛刀し、二部隊同時進行で刀剣男士を育成、戦力強化に努めてまいりたいと思います。つきましては、第三部隊は第一部隊が、第四部隊は第二部隊で教育することとします。今後、奇数部隊は奇数部隊で、偶数部隊を偶数部隊で教育することになるので、皆さんよろしくお願いします」
 突然の発表に、刀剣男士から少しばかり言葉が漏れるようなこともあったが、おおむねは、
「主の決めたことなら、従うまでだ」
「戦力の充実は基本ですからね。よい考えだと思います」
「よく分かんねえけど、主がそう言うんなら」
 賛同する声がほとんどだったが、ごく一部――
「ねえ。主、なんか思いつめてない?」
 加州が前列の陸奥守に耳打ちすると、
「んー……」
 陸奥守は腕組みをして難しい顔をしたものだった。
 かくして、その日のうちに十二口もの刀剣男士が鍛刀・顕現され、第三・第四部隊が結成された。部隊長の選出や、誰と誰をペアにするかというのは刀剣男士たちに委ねられ、審神者は浮かない顔つきで執務室へと引きこもった。

 

 予定外の鍛刀により、審神者が予想していた通り、本丸は立ちどころに資金難に陥った。今はまだ、審神者の貯蓄から補填して事なきを得ているが、それにも当然限りがある。
 原因は明確だった。
 第一~第四部隊はほぼすべての刀種で編制されていて、一見してバランスは良いように見える。しかし育成段階で一番のネックになるのは、太刀以上の長物は手入れでの資源が莫大であることだ。
 当初の計算では、一部隊六口ずつの教育なら、余裕があるとは言えなくとも、赤字になることはなかった。
 しかし今回。上層部からの圧を受けて、予定外に第四部隊までを一気に編制したがために、審神者の階級に応じた配給資源と、手入れや刀装づくりでの出費、これらの収支がまったく合わなくなってしまったのだ。
 むろん、出陣や遠征は頑張ってもらっているが、出陣で長物が負傷してしまえば、遠征で得られる軽く資源など吹っ飛んでしまう。かといって、疲労をため込んでまでブラック労働はさせられない。今はまだ、衣食住に窮するほどではないが、早晩そういった未来も見えてくるはずだ。
 審神者は考えた。――副業でもするか。否、そんなことで解決する問題でもない。ならば借金。そんなことできるわけがない。
 打つ手がなく、執務机で呆然自失としていると、ドアが軽くノックされたことで我に返った。
「あっ……は、はい。どうぞ」
 ディスプレイの帳簿ソフトをさっと消すと、審神者は慌てて声をかけた。そうすると、ドアがゆっくりと開き――隙間から、誰かがこちらをじっと覗いている。
「ひっ……」
 控えめに言ってもインパクト抜群、若干ホラーよりの絵面だ。審神者はかすかに悲鳴を上げた。そうしたとき、ドアの向こうでくつくつと笑い声があがり、それがすぐに大笑となった。
「主~。なんちゅう顔しちゅうがよ」
 ドアを開けてツカツカと入ってきたのは、陸奥守だった。屈託なく笑う陸奥守に、笑える気分ではなかったが、審神者も少しだけつられて薄く微笑む。
「びっくりした~……。普通に入ってきてよ」
「間ぁが空いちょったき、主ァお着換え中かと思うたぜよ」
「え、でも開けたよね?」
 着替え中かと思ったのに? 審神者がきょとんとした顔つきで問うと、陸奥守はいたずらがばれた悪童みたいな表情で、ペロッと舌を出してみせる。
「そいちゃ~言わん約束ぜよ! 失敬失敬」
 おどけたかと思えば、
「ところで、……主。すこぉし時間もろてもえいが?」
 陸奥守は瞬時に表情を切り替えて、そんなことを聞いてきた。大丈夫だけど、と呟くと、彼は途端に手招きをして主を呼ぶ。
「主、こっちじゃ。このふかふかの椅子……そふぁーっちゅうがか? ここに座って、ゆーっくり話そうや」
 審神者は呼ばれるまま応接セットの前まで来ると、陸奥守がするりと手を引く。促されるままにソファに腰を据えると、彼は隣に座った。太ももの近さにドキリとするが、それどころではないという思いもあって、審神者の内心は取り散らかっている。
 そんな彼女をよそに、陸奥守は座り心地えいの~とソファを堪能した。そうかと思えば、
「……で、じゃ。主、わしに話したいことないがか?」
 いきなり本題に入ろうとして、審神者の度肝を抜いた。
「えっ……。話したいこと?」
「顔が悩んじゅう。主はすーぐ顔に出るき、わかりやすくてかなん。いんや、この場合わかりやすくてえいな」
 突拍子もなく鋭いことをズバズバと突き付けられて、審神者はしどろもどろになった。
「いや……顔……? え、そうかな。そんなことないと思うけど」
「こないだ、政府の役人が来ちょったがよ。それと、刀剣男士の教育速めたんは、なんか関係あるがか」
 チェックメイト――。驚くほどに鋭い一手に、審神者は言葉を飲んだ。
「もうそれ、分かってるじゃん……」
「そいを、主の口からはっきり聞かしてほしいがぜよ」
 うなだれる審神者の肩を、陸奥守がそっと掴む。どうにも逃げられなくて、審神者はああ……と嘆き、ちょっと待ってねと一旦席を立った。執務机から小型の端末を持参して陸奥守に渡す。そこに、本丸の帳簿があった。
「……資金繰り、厳しいんか」
 真剣なまなざしで帳簿を読み解く陸奥守が、ぽつりと呟く。
「完全に下手を打って……」
 消え入りたい気持ちになりながらも、審神者は洗いざらい白状した。
 当初は自身の本丸づくりを応援してくれていた担当官が、打って変わって刀剣男士の育成を急かしてきたこと。
 おそらく上層部からの圧力が考えられること。
 予定外の鍛刀による予定外の大費、配給分の資源や出陣・遠征で得られる資源では到底賄えず、審神者のポケットマネーから出していること――。
 神妙に聞いていた陸奥守は、しばらく考え込むようにした。そうして少しばかり鋭い目つきで審神者を窺う。
「担当官のやちゃぁ、主を脅してきたがか?」
「そんなことはなくて、」
 誤解を受けているようで、審神者は慌てて手を振って否定した。
「たぶん、彼の方が脅されてるんだと思う。新人審神者の成長が自分の評価につながる上の人間が、悠長なことしてるな足並み乱すなって、圧をかけたんじゃないかな」
「主にもなんぞぺなるてぃあるが?」
「それは……ないと思う」
「ないがか。やさしいの」
 帳簿を読み解きながらの言葉であるせいか、それとも別の理由があるのか。陸奥守の言葉が審神者の心にさっくりと刺さった。――他人の言葉で簡単に命令を翻す、軽率な主と思われただろうか。それによって本丸の財政を逼迫する、無能な審神者と思われただろうか。
 しかし、いちいちごもっともだ。審神者は深く恥じ入りうつむいた。
「よう話してくれた。……足りん分、主の懐から補うちょったがやろ?」
 帳簿に一通り目を通した陸奥守が、ロウテーブルに端末を置いて言う。審神者がうなずくと、
「ほいたちそがなことしたらいかんぜよ!」
 きっぱりとした口調で叱責した。怒鳴るというほどでもないが、思っても見なかった声量に、審神者はぴくりと肩を揺らす。
「ご、ごめん……」
 反射的に審神者が謝ると、
「なんでいかんか、分かっちゅうがか?」
 陸奥守は諭すような口調でそう返す。審神者は考えて考えて、
「……貯えが底をついたら、どうしようもない」
 絞りだすような声で答える。それもあるがやけんど、と陸奥守は眉尻を下げながら主の肩をたたく。その掌はどっしりと重く、自身の双肩にかかる責任の重さを痛感させるようだ。
「主が補填しよったら、どこに問題があるか分からんなってしまうがぜよ。ほいたら解決策も立てられんようになる。責任の所在もあいまいになるがやき。なにより、主の貯えがなくなったら将来どうするがよ。本丸も大事じゃけんど、主の人生はもっと大事ながぜ。よう考えて、行動してくれんといかん」
 えいか? 厳しくもやさしい声色に、審神者は感極まってしまう。ぐっとこみ上げてくるものを感じつつ、そんな場合じゃないと振り払って、わかったごめん、と悄然と答えた。
「ほいたら次ぁ、主はどうしたいが?」
 今度は打って変わって、陸奥守は笑みをみせて言う。ほっと安堵しながら、審神者は額に手を当て、考え込んだ。
「最悪……生前贈与の分で財政立て直そうかとも思ってたけど、今のを聞いて心を入れ替えたよ」
 審神者が自嘲気味に呟くと、
「重々分かっちゅうと思うけんど、ほんまにいかんぜよ」
 陸奥守は呆れたように返す。審神者はうん、と素直にうなずいた。
「ポケットマネーは楽しいことに使うよ。……ええとまずなんだけど、とりあえずは上になんと言われようと、本丸の経営を健全化したい。衣食住が万全でなければ、時間遡行軍と戦えなんて口が裂けても言えないから」
 しかしそのためには、どうしたらよいものか。
 資源を消費しない日課と遠征だけをこなして糊口をしのぎ、貯蓄するか……。とりあえずAIに試算させようか。そこまで考えたとき、
「まーたひとりで悩んじゅう」
 そんな声が聞こえたかと思えば、頬を指でぷすりと刺される。
「おっ。やらかいの」
 好色な言葉とともに、勝気な笑みを浮かべた陸奥守がそこにいた。
「主は、わしが誰の刀か忘れたがか?」
 突然の問に、審神者はえっと呟き、坂本龍馬――口にしかけて、ああ、と目を見開いた。
「そがに思いつめんでも、刀剣男士を育てつつ、本丸の経営も健全化させる、えい方法があるがぜよ」
 ――陸奥守が提示した方法は、以下の通りだった。
 ひとまず、手入れと刀装づくりで必要最低限の資源を除いた分で、短刀・脇差、若干名の打刀を鍛刀し、部隊を編制する。
 短刀~打刀までの手入れがロウコストな部隊を臨時で編制して出陣させ、資源の比重が大きい長物たちには、ひたすら遠征に行って資源調達をしてもらう。資源が安定したら、長物たちの出陣も開始。
 教育体制には、緊急措置として少し手を加えることになる。これまでは新刃一口につき先輩一口がついて、いわばマンツーマンでの指導だった。だが今回は特例として、新刃二〜三口に先輩一口がつき、スリーマンセルないしフォーマンセルを結成し、教育に当たることとする。
 説明を聞きながら、審神者は呆然と瞬きするばかりだ。
「すごい……」
 彼女の口からは、自然とそんな言葉が漏れた。陸奥守はそれを聞いて満足そうにしてみせる。
「出陣をこなしゆううちに主の階級も上がるき、配給される資源も増えるがよ。そこに遠征の分も合わせたら、いまよりだいぶ楽になるろう。出陣・遠征を回せるだけ回して得られる資源が、ざっとこんなもんぜよ。どうじゃ?」
 陸奥守はどこからか取り出したそろばんを、ぱちぱちと高速ではじき出してみせる。そうして提示されたものの、
「ごめん、そろばんの見方がわかんない……」
 審神者は恥じ入ったように言う。
 陸奥守は後頭部を掻きながら、でじたるの弊害じゃな~などとこぼし、ロウテーブルの端末を取った。
「ほいたら、えーあいとやらに計算してもろたらえいかもしれんの」
 そう言って主に手渡す。
 審神者は受け取って、AIサービスの画面を開く。様々な資料を閲覧して、入手できうる資源量を把握し、詳細なプロンプトを打ち込んでいく。幾何もなくはじき出された試算に、おお、と審神者は目を輝かせた。
「すごい! むっちゃん、経営の天才だって! AIがほめてるよ」
「ほ~ん。えーあいとやら、わかっちゅうの~。ほいでほいで、主はどうじゃ?」
「天才だと思う!!」
「なっははは、気分えいのう! わしを選んでよかったろう?」
「本当にそう思う!!」
 光明が差し込んだ気がして、審神者は我を忘れて陸奥守にハイタッチを求めた。彼も最初は意味が分からないような顔つきをしたが、無邪気に喜ぶ主を見て表情を和ませ、両手を突き出す。
「いよーし、やるぞー!」
 パン、と掌を打ち合わせると――瞬間、審神者は我に返った。掌に、陸奥守の厚く大きな手のぬくもりが移った。気がした。そうすると途端に、いてもたってもいられなくなるのを感じる。
「っじゃ、じゃあ……さっそく鍛刀……あ、でもその前にみんなにも説明した方がいいかな。……とっとりあえず! 資源を確認してこようかな」
 そそくさとその場を立とうとした審神者に、
「資源なら端末で確認できるろう? 見てわかるがか?」
 陸奥守がふしぎそうにする。
「ともかく、方針が決まったからこうしちゃいられない! ああ忙しいいそがっ……あ!」
 審神者は目に見えて狼狽し挙動不審となった。ソファの角に足を引っかけてバランスを崩し、陸奥守の腕に支えられる。
「まったく、世話の焼ける主ぜよ」
 呆れたように笑い含みに言われて、とうとう審神者は、声にならない声を上げて執務室を去った。どきどきと高鳴る胸が痛くて、頬が熱くて。
 きっとそれは、希望を得たことによる高ぶりだと言い聞かせて。

 あとになって――審神者、思う。
 この頃が一番しあわせだったのではないか、と。

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