05:雨間のひずみ - 3/3

 その日、審神者は陸奥守と万屋へと買い出しに出かけた。
 待ち合わせ場所は、大門の前。遠くから陸奥守の姿を認めた審神者は、慌ててそこまで走って行く。
「別に走らんでえいがよ~。って主ぃ!」
 息せききって表れた審神者に、陸奥守は素っ頓狂な声を上げた。
「えっ……な、なに?」
 いきなり非難がましい声を聞いて、審神者はどきりとする。
 陸奥守は審神者の全身を上から下まで隈なく見つめ、ため息を吐いた。
「ほ、本当になに?」
 なにか悪いことでも。どきどきしながら聞くと、陸奥守はぷいと背中を向けてわざとらしくイジイジしてみせる。
「加州から、主の余所行きを選んじょったっちゅう話ぁ聞いちょったき、てっきり今日ぁそのために、可愛らしい恰好して出てくる思うちょったに……。なんちゃぁ普段どおりやいか……」
「え、ええ……!」
 まさか、犬猿の仲だと思っていたのに、そんなやりとりがあったなんて。審神者はひたすらどぎまぎして、いやちがうの、と慌て気味に言い訳する。
「あれはあれで……た、たまには違う服も着たいなって思って……」
「ほいたら……わしのためやなかったがか……」
 大仰に肩を落として落ち込んで見せる陸奥守に、審神者はとかく慌てた。
「別にそういうんじゃなくて……! 今日、雨降るって聞いたから……ぬれて汚れるのもやだなって思って……」
 背中を向けた陸奥守の横で、審神者はあわあわしながら言い訳を重ねる。
 ――もちろん、それもある。
 が、実際は当日になって急に目が覚めたのだ。
 たかが買い出しごときで、いつも着ないような服を着るのも変だろうか。本丸の備品を買い足しに行くだけなのに、変にめかしこむなんて、思い上がってるみたい。
 そうしていつも通りの、白衣に鼠色の男袴――神職みたいな色気も素っ気もない装束に、身を包んだ審神者だった。
 まさかこんな反応がかえってくるとは思わず、審神者はがっくりと落胆する陸奥守に手をかけようとして――その体がぷるぷると震えているのを見つける。
 目をしばたきながら観察していると、それがどうも、笑いをこらえているのだと判明する。
「……陸奥守?」
 冷えた目つきと声で、じっとりと指摘すると、陸奥守は慌てて言い訳してみせる。
「す、すまんちや……! あんまり主が可愛らしい反応するき、つい」
「……もういいよ。行こう」
 雨が降っちゃうよ、と審神者が先に歩き出すと、陸奥守は慌ててその後ろについた。
「堪忍してや〜。けんど、慌てるっちゅうことぁ、ちくと後ろめたい気持ちがあるがやろ? ほいたらまぁ……たまにでええき、わしにだけ見せちゃってや」
 なおも軽口をたたく陸奥守に、
「もう、うるさいよ! 早く行こうってば!!」
 審神者は顧みることもなく、ずんずんと進んで万屋を目指していった。

 

 万屋というと小さな個人商店のような響きであるが、実際には、万屋街と称しても差支えのない、一大繁華街の様相を呈している。
 はじめて足を踏み入れた陸奥守は、ずらりと軒を連ねるさまざまな店舗の数々に、感嘆の声を漏らした。
「こりゃまた広いとこやの〜。呉服に食品に、こじゃんと店が並んじゅうがや」
 きょろきょろと辺りを見回す姿に、審神者は口元をほころばせた。
 彼の反応には心当たりがある。――はじめて万屋を訪れた、修行時代。師に伴われて足を踏み入れたここで、彼女もまた同じような反応を示した。
 現代的な無駄を省いたデザインと、まるで過去にタイムスリップしたような、江戸情緒あふれる雑多な雰囲気の融合。なにより、取り扱う品々の豊富さ。生活必需品を取り扱う店から、飲食店に飲み屋といった、娯楽や嗜好を満たす店――はてには性風俗サービス――まで、その品揃えは膨大だ。
「お、あっちは閑散としとるのう。なんの店ながやろ?」
「あ、あっちは……!」
 歓楽街の入り口を見つけては、ふらふらと引き込まれそうな陸奥守の腕を引っ張って審神者は必死に止める。
「あっちは、今日の買い出しには必要ないから」
「なんの店じゃ?」
「…………」
 うぶな審神者は少しばかり頬を染めて、夜の店、というので精一杯だ。そんな反応を見て、陸奥守はにやにやとするばかり。
「ほ~~ん。ほーかほーか、ほ~~ん」
「もういいからっ! 早く行こっ!!」
 と、陸奥守の背中を押して目的地を目指した。
 買い足す物品は、手入れに使う砥石と丁子油、あとは自身の生活必需品だ。手入れ用品は、師匠推薦かつ店主とも顔なじみの店があるからそこで購入する予定で、自身の買い物の時は陸奥守とは別行動するつもりだった。
 前者の店では、陸奥守も何か欲しいものがあればと思って誘ったものの――別行動するくらいなら、特段一緒に来る必要はなかったかもしれない。むしろ、当初はひとりで行くつもりだったのだ。
 しかし、何気なく予定を聞かれたときに、何気なく万屋に行くことを告げると、
『ほいたらわしも一緒に行ってえいか?』
 とたのしげに提案され、断ることはできなかった。――断ることでもないし。初期刀と一緒に買い出しをするくらい、普通のことだ。くどくどと言い訳を連ねて今日この日を迎えた。
 なんでこんなに、一生懸命なんだろう?
 なにをするにも言い訳を考えて、合理化して。なにか後ろめたいことをしているような、けれども居心地が悪いわけではない、このふしぎな気持ち。その正体が明らかになるのは、早かった。

 

 買い物を終えると、毎度ありがとうございます、と店主とその妻に見送られて店舗を出る。砥石などの重たいものは陸奥守が、軽い小物は審神者が。品物を受け取ってすぐに、陸奥守は実にさらりと引き受けたものだった。
「馴染みの店っちゅーんは、えいもんやの~」
 手入れ用品店で、上客(といっても師匠つながりの待遇であり、彼女自身はまだまだ客としては太い客層ではないが)として手厚く遇された陸奥守は、なんとも満足げな様子だ。
「先生の弟子だからね。でもここの店主には本当に良くしてもらってるから、いつかは私も先生みたいに、ガンガン品物を注文して消費して、このお店に貢献したいな」
 審神者が表情をほころばせながら言うと、陸奥守もにっと笑みを浮かべてみせる。
「ほいたら、主のせんせみたいに、でっかい本丸にせんといかんがや。こりゃまた壮観じゃのぅ……。百余の名刀・名槍・名剣に囲まれて、主、主様、主君っち、主が仰がれゆうさまは」
 どこか誇らしげな様子に、審神者は急に照れくさくなった。
「そうなったら……。ううん、いや、なる!」
「その意気じゃ~!」
 喜ぶ陸奥守をよそに、――そろそろ別行動を呼びかけようとして、審神者はためらった。もう少し一緒に居たいが、自身の買い物も……。陸奥守もひとりで回りたい店があるのではないか。
 悶々としていると、ふと――陸奥守がふらふらとどこかへ歩んでいく。
 また繁華街の方へ、と審神者が慌ててその後を追うと。陸奥守は女性向けの小物雑貨屋の店頭で、立ち止まっている。
「どうしたの?」
 声をかけると、陸奥守が手招きする。審神者もまたフラフラと寄っていくと。陸奥守は両手に珊瑚玉のついた簪と蒔絵の美しい簪とを持って、悩ましい表情を浮かべている。
「主ぁ清楚を絵に描いたような女子じゃきのぅ、しんぷるなんが主らしいがよ。けんど、たまにゃばしっと飾るんもえいろう。……さて、どっちがえい?」
「え、私……?!」
「主ぁ、わしが簪さすように見えるがかえ?」
 微妙な顔つきで返す陸奥守に、転瞬、審神者は簪を差した彼を想像し、顔を背けて噴き出した。陸奥守もそれを見てにやりとする。
「ま、色男ぁ何しても似合うがやけんど、今ぁ主じゃき。……お、この櫛もえいの。主のさらさらの髪が、もっとさらっさらになってしまうがよ」
 撫子やススキ、秋の草花が彫り込まれた美しいつげの櫛だった。審神者はそれを手に取って、目を細める。
「可愛い……」
 呟く審神者に、陸奥守が目を輝かせる。
「お、じゃあ決まりじゃな!」
「あ、でもね。つげの櫛は、もう持ってるから」
「なんじゃ。男にもらったがか?」
 不服そうに唇を尖らせて言う陸奥守に、審神者は慌てたように首を振る。
「そうじゃなくて……。ええとその、母から。審神者の就任記念にもらって」
「お袋さんから」
 なんとなく――陸奥守がその話題に食いついたような気配がして。あまり深堀りされたくなくて、審神者は咄嗟に珊瑚玉の簪を手に取った。
「だから、こっちがいいな」
 レジに行こうとすると、陸奥守がそれをさっと迅速に奪い取る。
「あ、」
「店員さん、お勘定じゃ~。贈答用に包んでくれんかの」
 そうして瞬く間に会計を済ませ、審神者の手に握らせてきた。
「ほいたら、たまにゃ簪さして見せちゃってよ。……むっちゃんとの約束やき」
 いたずらっぽい笑みと声が、審神者の胸の奥底を揺らす。握られている手が異様に熱い気がして、審神者はどぎまぎとした。
「えっ……あ、ああ、わかった……ありがと」
「加州に聞かれたら、必ず、むっちゃんからもろうたっち言わないかんぜよ」
 陸奥守が念を押した瞬間、なにかがぽつりと、熱された手の甲に落ちてきた。それはぽつぽつと続けてしたたり、
「いかん、降りだしよった!」
 急激な雨となって二人を打った。陸奥守が審神者の手を取ったまま、軒先に避難する。
 通りの人々も、同じように軒先に逃げ込んだり、あるいは、準備していた傘を広げるなどした様子がうかがえる。
 瞬く間に雨足は強くなり、周囲が白く見えるほどの霧雨となっていく手を阻んだ。
「ひや~、予報通りじゃな。主、濡れとらんがか?」
 空を見上げながら陸奥守が言う。審神者はどこか呆然としながらも、大丈夫、と返した。
 しばらく、二人の間に沈黙が流れる。
 ――陸奥守は、いったいどういう意味合いを持って、あんなことをしたのか、言ったのか。ぐるぐると審神者が考え込んでいると、どこからかやってきた二人組が、慌てたようにはす向かいの店舗の軒先に逃げ込んだのが見える。
 審神者と、刀剣男士。
「ごめんね、大倶利伽羅。わたしがゆっくり選んでいたばっかりに」
 おっとりとした声が聞こえた。思わず彼女はそちらに目をやった。
 はす向かいの審神者は、朱鷺色が目に鮮やかな美しい着物を纏った妙齢の女性。結い上げた髪やすっきりとした目元が涼やかで、落ち着いた雰囲気を持っている。対する刀剣男士――大倶利伽羅は、そんな主を穏やかに見つめている。
「濡れてる。ちょっとかがんで」
 審神者がハンカチを取り出すと、大倶利伽羅は素直に頭を下げて、主のするがままに任せる。――どう見たって、二人がそういった仲であることは明白で。
 審神者はひたすらどきどきとし、目をそらし――しかし、吸い寄せられてしまう。
「もういい、大丈夫だ。……もう少し寄れ、濡れる」
 あらかた拭いてもらった大倶利伽羅が、静かに、しかし力強く審神者を抱き寄せる。すると、少しだけ審神者は目を見開き驚いたようにしたが、すぐに表情をうっとりとさせて、その胸に頭を預けた。
 その、生々しいばかりの距離感とやり取り。審神者は声もなく体を固まらせ、そろりそろりとあらぬ方向を向いた。
 その流れでふと、陸奥守の反応が気になる。
 彼も気づいただろうか。――一体どんな様子なんだろう。
 そう思ってちらりと彼の方を向くと、陸奥守もまた、はす向かいの審神者と刀剣男士を見ていた。
「あのふたり、恋仲かのう」
 呟くような問いを投げかけられて、審神者は言葉につまる。
「っ……ど、どうだろう。あ、いや、……それっぽい、ね」
 雨の音が、遠くなった気がした。

 ――その後、審神者はどうやって本丸に帰り着いたのか、詳細な記憶を有していない。

 契機といえば、それが契機となったのかもしれないし、そうではないのかもしれない。
 その日以降、審神者と陸奥守の関係は大いに変容するところとなった。

 

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