それでも愛さずにはいられなかった - 3/6

 目が覚めてすぐに、本日の日課を確認しようと――して、審神者は手を止める。
 今現在の本丸の統括は山姥切国広、彼に審神者業の一切を任せていたことを思い出した。そうしてもう一度布団にばたりと倒れこむと、ほどなくして廊下から声がかかった。
『起きたか?』
 控えめなそれに、多少、と返事をすると、開けるぞとの言葉が返ってくる。確定的な言い方のわりに、戸が勝手に開くことはない。どうぞと返事をして初めて、障子が開いた。
「気分は?」
 寝転がっている審神者を見て、ソハヤはそんなことを尋ねる。朝の目覚めは毎回こうだ。相手が病人ということを気遣ってか、ソハヤの第一声はいつもこれだった。
「まあまあ。冷たいものが飲みたいな」
「待ってな」
「いや、行く」
 のっそりと体を起こし、ひとまず膝立ちになる。布団の上に両手をついて立ち上がろうとすると、
「ほら」
 手が差し出された。ためらいなくその手を取ってみると、ぐっと握りこまれて立たせてくれる。
 もしかしたらソハヤは、審神者がそこまでしないと立ち上がれないほど体が辛いと――思っているのかもしれないが、実際そこまでではない。騙しているようで悪い気もするが、そんなさりげない優しさが嬉しくて、受け取らずにはいられないのだ。
 食卓につくと、見事な朝食が用意してあった。手先の器用のソハヤは料理もできる方で、朝の短い時間にも手際よく何品も出してくる。
 もともと審神者には朝食をとる習慣はなかったが、好いた男の手料理なら、さほど食欲はなくても口にしていた。しかしそれらも、最近はあまり手が進まない。食欲は徐々に落ちてきている。
 それを察してか、一度朝食の量がかなり減ったことがあった。食事を見るのも苦痛かもしれないと、気をまわしたのだろう。そういう目端の利くところが好きではあったが、今はその気遣いも悲しい。
「私ね、ソハヤがたくさん食べてる姿が好きなの」
 そんな言葉に、ソハヤは「そうか?」と怪訝そうにしながらも笑ったものだ。
 二回ほどそれを口にしただけで、彼は真意を察したらしい。それ以後は以前と同じく、朝からボリュームのある食事をとるようになった。
 冷たいものを、とのリクエストにソハヤはラッシーを作ってくれた。さわやかな甘さとほのかな酸味が、ごくごくとのどを通る。もっと飲みたいと思ったのは一瞬で、コップ一杯飲み干すとそれだけで満足してしまった。
「ソハヤは料理が上手だね」
 空になったコップを持て余しながら言うと、まあなとソハヤは苦笑いを浮かべる。
「食は戦士の要だ! 美味な料理を作れてこそ本当の兵だ! なんて声高に宣言する、美食過激派の刀がいてな。包丁の持ち方からずいぶん鍛えられたもんだ」
「燭台切か歌仙?」
「いんや、初期刀様だ」
 むっつりとした初期刀の顔を思い浮かべ、審神者は軽く目を見開いた。
「いやでも、山姥切はそんなに料理上手じゃなかったと思うけど……」
「もちろん、鍛えたのは燭台切や歌仙だ。山姥切国広は現場監督かな」
「手は出さないけど口は出すって? やな感じ」
「まあそのおかげで、うちの刀剣男士には、味音痴や料理音痴はいないってえ寸法だ。あんたにこうやって美味いモンを提供できるのも、初期刀様のおかげってな」
「そっか……」
 本丸がスタートしてすぐの頃は、みんなで食事当番をまわしていた。特に、まだ初期刀と初短刀くらいしかいなかった頃は、審神者が刀剣男士の食事を用意していたものだ。
 その頃の山姥切は、たとえどんな失敗作でも、何も言わずにすべて平らげてくれていた。時折、研修などのついでで二人で食事をとることもあったが、そんなときも彼は質より量というか、出されたものはなんでも食べていた。
 何が食べたいか聞いても、決まって「あんたの食べたいものでいい」という答えだったから、食にこだわりはないのだとばかり思っていた。――そんな彼が、美食家とは。
 なんでも平らげる大食漢というのは、主の前だけの姿だったようだ。
 ソハヤと一緒に過ごすようになってから、彼らのそういったささやかな違いに気づくことが多くなった。自分が見ているものと、刀剣男士から見えるものではこんなにも差があったのかと――それを実感した時、どこか寂しいような思いもしたし、もっと知りたいという真逆の好奇心も沸いた。
「知らなかったなぁ」
 本丸の思い出が、いたるところにたくさんあると思い知らされる。自身の歩んできた道が思ったより長いと知った時、その中で、果たしていくつかけがえのないものを取りこぼしてきたのだろうかと考えると――喪失感に打ちのめされた。
「……主?」
 案じるような声を聞いて、審神者は顎を引いて目を伏せた。悟られたくない。
「胃もたれ、かな」
 胃のあたりをそっとさすりながら言うと、彼が気を利かせるよりも先に席を立つ。
「朝の薬を飲んで、ちょっと横になってる。ソハヤはゆっくり食べてきて」
 精一杯笑みを浮かべて手を振ると、ソハヤは声もなくうなずいてみせた。多少なにか引っかかるところがあっても、こうやって逃げてみせれば、彼が深追いしないことは分かっていた。

 

 余命宣告後初めての病院受診は、ソハヤノツルキも伴って。
 当初連れていくつもりはなかったが、途中で倒れたらどうするとソハヤと山姥切の双方から詰められると、固辞する気力もわかなかった。
「主のことを頼んだ」
 初期刀からの激励に、ソハヤは突き出された拳に己のそれを軽く打ち当てて、
「任された」
 勢い勇んでみせる。
 別に死地に赴くわけでもないのに。それとも、思っていたよりも二口の仲は良かったのだろうか。だとしたら新たな発見だ。そんなことを考えながら病院へと向かう。
 名前を呼ばれて、立ち上がる。直後ふらりと立ち眩みを感じ、ゆっくりと座りなおして目を閉じる。もっと慎重に立たなければならなかった。その反省を踏まえて立とうとすると、隣から支えられた。ソハヤだった。
「ごめん、もう大丈夫。看護師さんもいるし、ここで待っ、」
「てるわけねえだろ。行くぞ。看護師さんも忙しいんだから、手ェとらせるわけにはいかねえ」
 ほぼ抱きかかえられるようにして診察室へと入る。ソハヤを制する間もなかった。
「今日はパートナーもご一緒で」
 ちらりとソハヤを一瞥しながら主治医が言う。認識阻害用のまじないがかけられた彼は、医師の目にはどこにでもいそうな平凡な男性として映っていることだろう。
「無理矢理同行した。自分の体調となるとすぐ嘘をつくからな、説明に同席すれば言い逃れもできないかと思って」
 そろりとねめつけられ、審神者はばつの悪そうにうつむいた。そうですね、と同調したのは主治医である。
「これからの生活は、周りの支えなしには到底立ちいきませんから。頼ることは悪いことじゃありません。こうやって支えてくれる存在があなたにはいるんですから、辛いことは我慢せずにいきましょう」
 ――食欲の低下や体重の減少、鎮痛剤を使う頻度が上がったこと。つらつらと日々の生活について報告しながら、悪くなっているなと審神者は思う。あるいは、血液検査、画像検査の結果。病状が思った以上の速度で進行しているのは、火を見るより明らかだった。
 苦痛症状を抑える薬はより強いものへ。その薬の副作用を抑える薬も新たに増え、薬袋はパンパンに膨らんだ。
「薬だけでおなか一杯になりそう」
 バッグにしまいながら審神者がいうと、ソハヤはややあってから、
「……別のとこにかかってみるか?」
 そんな提案をしてきた。
 なんとなく、審神者にはその真意がわかる。素人なりに飲まなくてもいいとは言えず、かといって、無理矢理飲ませるのも気が進まない。他所の医者に掛かれば、また別の方法を考えてくれるのではないか。
 そんなところだろう。――彼の気の回し方を理解できたことが、あるいはそんなやさしさが、単純にうれしい。
「ううん、大丈夫。痛いのもきついのも、副作用が出て苦しむのも全部いやだから、飲むよ。もともと食欲もなかったし」
 元からそのつもりではあった。なんでもないと、平気だとアピールするために言った言葉は、揺らいで震えてずいぶんと哀れな響きをしていた。いやだ、と審神者は思う。そんなつもりじゃなかったのに。
 そうしたとき、ソハヤの腕が審神者の肩に回った。グイっと抱き寄せられ、腕の中に包み込まれ、審神者は立ったまま目を見開いた。
「ソハヤ、まあまあ人通りが……」
 行きかう人々に、好奇や非難の目が向けられる。一応そんな声をあげてみるが、ソハヤの拘束がとかれることはなかった。
 どうなってもいいか――。どうせ残り少ない命だし。
 そうやって開き直ると、審神者はソハヤの胸にゆったりと身を任せた。そうすると、つかの間だけでも幸福感を得られる。願わくばこうやって死ぬことが出来たら、思い残すことはないのに。

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