「ソハヤに聞きたかったことがあるの」
審神者の言葉に、なんでもどうぞというようにソハヤが目線で促した。
「ソハヤは、江戸幕府の守り刀として三百年近く過ごしたわけでしょ。その最初と最後で、どんなふうに思い、感じたのかなって」
幕府なぁ。ソハヤは軽くつぶやいたかと思えば、つぎには覚えてねえなと苦く笑う。
「なんせあんまり昔のこと過ぎてな」
「そっか」
「……まあ初めの頃は、置物になるなんて詰まんねえなとは思ったかな」
「戦う方が好き?」
「好きだな。命を懸けた魂のやり取りだ、究極のコミュニケーションともいえるな。内にこもるのも悪くはねえが、他人と全力でやりあうのも気持ちがいいもんだ」
「じゃあ置物時代は楽しくなかった?」
「あれはあれで中々体験できるもんじゃねえが、……戻りたくはねえな」
言葉は少ないが、渋い横顔に彼の胸中がまるっきり現れているようだ。それがおかしくて、審神者は軽く笑う。
「そっか。じゃあ、幕府が終わりを迎えたときは?」
「終わったな、……と」
尻切れとんぼで終わった言葉に、審神者は思わず「それだけ?」と返しそうになり、次の瞬間、息をのんだ。
遠くを見つめる、ソハヤノツルキの表情――。さびしいとか、悲しいとは違う。切ないというものに親和性がありそうだが、百パーセントそれでもなさそうな。たかだか半世紀も生きていない彼女には、到底解釈しきれない深い感情がそこにある。
きっとそれは、ソハヤにとってとても大切でかけがえのないもので。――どうしたらその中に自分も入れるだろうか、とさえ考えてしまう己の醜悪さに嫌悪する。
「俺からも聞いていいか?」
唐突に声をかけられ、どきりとしながら審神者は平静を装った。なあに、と問い返すとソハヤはちょっとだけ意地の悪い顔つきをしてみせる。
「あんた、俺のことがいつから好きだったんだ」
不躾な質問に一瞬硬直しながらも、審神者は冷静なふりをしていつ頃かなぁ、と濁してみた。
しばらく沈黙で時間稼ぎをしたが、緩やかに待たれていることに気づき、これは答えないことには終わらないぞと思い至る。
自由を奪われかごの鳥にされているのだから、これくらいのことは知る権利があるだろうか。ばつの悪い思いをしながら、審神者は正直に白状することとする。
「最初から気になってはいた、……かも」
「へえ?」
返すソハヤの声は軽い。心底から楽しんでいるようだ。
「今までにないタイプというか……霊刀というからどんなだろうって思ってたら、なんというか……その。そうきたか、と」
「なんだよ、そうきたかって。正直に言ってみろよ」
「たとえばその……方向性として一緒と思われる、御神刀や奉納刀って、どっちかっていうと……厳かというか、なんというか、」
「俺は厳かじゃないって?」
「いや決してそうじゃないんだけど、……んー……」
にやにやと、ことさら意地の悪い顔になっていくソハヤに耐え兼ね、これ以上墓穴を掘る前にと審神者は正直に白状する。
「ヤ……やんちゃそう、というか」
ソフトにマイルドに表現してみると、ソハヤは噴き出して笑った。
「で、あんたはやんちゃそうなのがタイプなのかい?」
「それはなくて」
「即答か」
「でもその、やんちゃそうな見た目で、いろいろとイメージを裏切っていくから、目が離せなかったというか、なんというか」
「具体的に?」
「……目が、怖くて」
「目?」
何を言い出すんだ、という顔付きでソハヤが目を丸くした。支離滅裂なことを言っている自覚が、審神者自身にもある。
「酷暑の、強い日差しみたいに強くて熱くて、じりじり焼かれるような。強烈で痛いほどの眼差しというか。でも、そんな日差しにさらされてふっと足元を見たとき、……そこには黒々とした影が落ちている。光の強さと影の濃さは比例するでしょ。つまりその……最初は、怖かったんだと思う。怖くて、でもだからこそ目が離せなくて、見つめ続けているうちに」
きっとそれは、今でも変わっていない。
怖くて、畏れ多くて、けれども諦めきれないもの。近づきすぎれば燃え尽きてしまうと、分かっていた。――けれどもどうせ尽きる命だから、炎を飲んで死んでもいいと思ったのだ。
遠くに聞こえていたそれが、急激に近づいてきている。死神の足音。日ごとに強くなる痛みと変わり果てていく自身の姿に、終焉の気配を濃厚に感じる。
十分な受け入れができていない状態から、あまりにも進行速度が速すぎた。否認したり、すべてを拒絶したり、懺悔したり後悔したり神にすがってみたり、あらゆることが短い時間の中で行われ――最終的に、絶望のみが残った。
そんな中で、審神者はソハヤノツルキに暴虐の限りを尽くした。食事中に発作が起きては、食卓すべてをひっくり返してみたり。なんの前触れもなく、彼の持ち物をめちゃくちゃにしてみたり。
鎮痛薬が効いてくるまでの間、もはや暴れる気力さえなく、痛みに耐え兼ねてひどい暴言も吐いた。それでもソハヤは、やさしく抱きかかえ、痛む箇所を温めさすってくれた。正気に戻ってごめんと言えば、どうってことねえよと返ってくる。
ソハヤノツルキはあまりにも――やさしすぎた。まるで別人であるかのように。
ソハヤがやさしくないとは言わないが、そこには厳しさも同時に兼ね備えていて。彼の持つやさしさとは、一見してそれと分かりにくい部分もあったりする。こんな包み込むような、すべてを愛しすべてを許しすべてをいつくしむような――ひたすら柔くて甘いものではなかったはずだ。
それに困惑すると同時に、納得する部分もあった。
そうか、死ぬから。もうじき死ぬから、精一杯やさしくしてくれているんだろう、と。きっと彼の目には、火に焼かれて羽を失った蛾が、最後の気力を振り絞ってもがいていようにしか映っていないのだろう。
私は死ぬ。彼は生きる。
それは急度、病気になってもならなくとも、変わらぬ運命だった。人間の自分と、刀の彼。別れが来るのは当然で。しかしそれがたまらなく許せなく、たまらなく切なく感じる。
どうしてこんなに痛いのか。どうしてこんな目に遭わなければいけないのか。どうして自分だったのか。好きになったからか。分不相応の恋をしたからか。恋をしなければ、こんなことにはならなかったのか――。
「どうせ、……」
ソハヤの腕の中、審神者は苦痛に顔をゆがめて吐き捨てる。八つ当たりだと分かっていても、それを諫めるだけの理性が存在しない。
「すぐに死ぬと思ってんでしょ。早く終わればいいなって、思ってんでしょ。面倒なことになったと思ってんでしょ。身の程知らずが、かったるいことさせやがってって、……」
否定も、肯定もない。凪いだ大海のように穏やかな眼差しが、そこにあるだけで。彼の大きな掌に力がこもると、ソハヤの胸に頬を当てるような体勢にされた。
耳を押し付けた左胸。ゆったりと低い心音が聞こえる。彼が生きている証。これからも生きていく、証。力強い鼓動が、荒れ狂う心をそっと慰撫する。
「痛いのもしんどいのも、じきに遠のく。大丈夫だ。ちゃんとそばにいる」
とんとんとゆっくりと背中を叩かれて、涙にぬれた瞼が重くなってくる。幼子をあやすような、やさしい手つき。あたたかな温度と、いとしいにおいに包まれて。
それで、漠然と悟った。
知っていたけれども、この瞬間本当に、すとんと納得した。――本当にこれで最期なのだと。
逃げようもない運命が、すぐ目の前に迫っていることを、この上なく切実に審神者は悟ったのである。
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