移動した先は審神者の私室である。これで、援軍の可能性はかぎりなくゼロとなった。
「つまりどういうことだ。俺とは遊びのつもりで肌を合わせたということか」
ソハヤノツルキはものすごく怒っていた。その怒りの意味、言っている言葉の意味が分からず、審神者は震えながら困惑するばかりだ。
「え、いや……ちがくて……」
「そういうことだろう。少なくともあんたはそういう認識だったわけだ」
ソハヤに詰め寄られ、審神者はあとずさり――そうして躓いて転び、しりもちをついた。ソハヤがゆっくりと膝をつき、逃げ場をなくす。とにかく怖かったが、同時に、本当に彼の言葉が不可解でならなかった。
「待って……。ソハヤの言ってることが分からない」
審神者は本当に意気地がないのだが、対話においては意外と根性を見せる。分からないことを分からないままにして黙秘する、ということが彼女にはできなかった。それを誠実な性格だと言ったのは、誰だったか。
「遊びのつもりもなにも、……ソハヤには、本命のひとがいるんでしょう?」
だから自分は、一夜かぎりの関係を持ちかけたのだ。彼にとっては遊びでも、気の迷いでも、人生の汚点――とまでいくと悲しいが――でも、なんでもよかった。ただ、思い出が欲しかったのだ。その思い出を胸に、この先の一生を生きていけると思ったのだから。
我ながら未練ったらしいとは思う。思うが、それで未練を断ち切れると思ったのだ、その時は。実際は、関係は一度で終わらず、未練は募りに募ったばかりで。今でもこんなに好きで、どうしようもなく好きで。こんなに彼が激怒しているなら、いっそのことその手にかかって死にたいとさえ、そんな身勝手なことを思うほどに愛している。
ありったけの思いを暴露したというのに、ソハヤの反応といえば、
「……は?」
その一言だった。何を馬鹿な、血迷った事を、そういうことだろうか。
長らく沈黙が続いた。
ソハヤはぽかーんとした顔のまま、きわめて不可解そうに、怪訝そうに、本命ってなんだよとつぶやいた。
「本命って……あんただろ」
「……は?」
今度は審神者がそう言う番で、固まって黙り込む番だった。
ふたたび、二人の間に沈黙が流れた。
ややあって、ソハヤが口を開く。深いため息交じりの、どうしようもない声だった。
「つまり何か、あんたは……俺の遊び相手のつもりで、今まで俺と過ごしてきたって?」
「……違う、の?」
審神者が率直に問いかけると、ソハヤは「はあああ」とあからさまに、もはや腹立ちさえ見え隠れするようなため息を吐いた。ぐしゃっと前髪をかきむしると、なんでだよ……とさえ嘆く。
訳が分からなくて、審神者はとりあえずかみついた。逆切れというやつかもしれない。
「でもソハヤは、本丸の外に馴染みの女の人がいるんだよね? 足繁く会いに行くじゃない」
「女の……ひと?」
「鈴、とかいう……。黒髪が豊かでしなかやな四肢をもった美人。一番人気だ、って鶯丸が」
「いや、メスはメスだが、鈴は猫だぞ?」
「猫ってそんな……。…………猫ォ?!」
審神者が素っ頓狂な声を上げると、ソハヤは目をぱちりと瞬いた。合点の行った顔。ぽかんとし、ついで笑い、そうして最後には頭を抱えて畳の上に突っ伏した。――知る限りで、彼がこんなに感情の変化を表すのは初めてだった。
「んだよそれぇ……! まさかずっとそんなふうに誤解してたってのか?! いや、確かに隠れてコソコソ行ってたのは事実だが……ていうか黒髪って……っんだそれ、鶯丸がそう言ったのか?!」
「いや、黒い毛、って言ってたけど鶯丸語録だし髪の毛と自動翻訳し、そうなったというか……」
「あんたの勝手な勘違いかよ……」
ほどなくしてソハヤは自分なりに葛藤を乗り越えたのか、むっくりと体を起こした。
審神者だけが、いまだ現状に追い付いていない。
取り残されて不安そうにする彼女に、ソハヤはばつの悪そうな顔で、しかしなんとも言えない笑みを浮かべて、告白する。
「だからつまり……俺の馴染みは、猫だよ。通ってるのは廓じゃねえ、……その……猫カフェだ」
「猫……か……ふぇ……」
審神者は呆然としたものの、すぐさま、嘘だな、と思った。
「猫カフェにそんなコソコソ行く人はいないでしょ」
「いや、ここにいるだろ」
「……別に、嘘つかなくていいよ。そういう気遣いはかえって傷つく」
「だから嘘じゃねえって! っ……大の男が、ひとりで……その、猫をなでくり回しに行ってるなんざ、滑稽だろうが」
審神者は考えた。ソハヤがコソコソとお忍びで猫カフェに行く。……普通に考えてありだし、なんなら可愛すぎて死ぬ。なんだそのギャップ萌えは。
「いや、思わないけど……」
ソハヤがちらりと審神者を見た。その視線を受けながら、だって、と付け加える。
「私も猫、好きだし……。むしろ、そんなにかわいこちゃんがいるなら、私も連れて行ってほしい……と、思いますが」
清水の舞台から飛び降りるような気持ちで審神者が告白すると、ソハヤは呆然とし、次の瞬間、はああああああといきなり声を上げた。心臓に悪い。
そうして再び彼は畳の上で悶えた。
「んだよそれ……めちゃくちゃ気を使ったんだぞ?! あんたと会う日は入念にコロコロをかけて、店に行った日は風呂に入ったり着替えたり……んだよそれ取り越し苦労かよ……」
「ああ……それで」
思い当たることがあった。確かに、外出から帰ったソハヤはいつも身ぎれいで、なんなら風呂上りで、しかし無味無臭だった。――というか、彼の外出記録の時間はほとんどが昼間だったが、行き先が猫カフェというならうなずける。いや、フィルターがかかった頭では、昼間でも会いに行きたいのか……と思っていたが。
「ちょっと待って……」
審神者は頭痛のする頭を押さえながら、つぶやいた。
「ひとつ、聞いていい?」
「なんだよ」
「もしかしてソハヤって、私のこと、好きだったりするの……?」
沈黙。
沈黙。
沈黙。
真正面にいるソハヤノツルキは、なんとも言えない顔つきでこちらを見ている。心底から訳が分からないように。心底から残念であるように。
そうして、よし、と呟いて身を乗り出した。それでちょうど、しりもちをついた審神者に覆いかぶさるような形となる。
「俺の気持ちがどうかは、じっくりと教えてやりますか」
「え」
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