そんな都合のいいものはない - 2/6

「君……、おい、主。大丈夫かな」

 誰かの気配と、声と、ゆらゆらと揺らされた感覚で目が覚めた。一瞬、わけが分からなくなる。
 目の前の、その、非常に美しい造作の顔を見つめて、これは一体なんだろうかと思った。天使だろうか、お迎えだろうか。……まあ、ここまでくると悪ふざけだが。

「山姥切……長義。大丈夫だよ」

 でもそんな悪ふざけも本人に言うわけでもないので、こういうところが根暗だと言われるゆえんなのろうだ。いいや、私にこれほど美しい顔があったなら、もっと陽気に振舞うことが出来たかもしれないのだけれど。
 のっそりと体を起こすと、変な体勢で寝ていたせいか首が痛いし、下敷きにしていた右手も赤くなって痺れている。ジンジンと変な感じの右手を握って閉じてと繰り返していると、まったく、なんて呆れた声が聞こえた。

「仮眠をとるなら、次の間に布団を敷けばいいだろうに」
「寝るつもりはなかったんだ」
「だったらもう休んだ方がいい。それは急ぎの仕事ではないのだろう?」

 机上に広げっぱなしの書類を一瞥しただけで、緊急性の有無までわかってしまう。山姥切長義というのは、とにかく優秀な刀だった。

「そうだけど……。でもあとちょっとで終わるから」
「今は睡眠が優先だ、本当に顔色が悪いぞ。仕事熱心なのもいいが、休めるときに休んでおかねば体がもたない。体調管理は社会人の基本だ」

 くどくどとお説教を垂れるのは、彼がこの本丸に来た時からなんら変わりない。しかしまったくもって正論なので言い返す言葉もなく、言い返すほど大人げなくもない。彼らが純度百パーセントの良心から言っているのを知っているから。
 でも今は、なんとなくそれが嫌だなと感じた。もっというなら、うるさい、と。

「最近、寝るのがいやなの」
「いやとは言っても、人間の体は睡眠を避けられない」

 睡眠の重要性というもの長義が説き始める。あーうるさいうるさいうるさい、そんなこと自分がよく分かってる。なんなら君より私の方が体力のない分、睡眠不足で起きるデメリットをより多く経験しているだろう。医学的なことだって、君が思っているよりは多くのことを理解している。一応いろんなことを勉強して、ここにいるのだから。
 あーうるさいうるさいうるさい。特に努力することなく出来るヒトというのは、共感性に欠けるから困る。まあヒトではなく刀剣男士で、刀剣男士だから人間のことなど分からないのだろうけれども。

「わかったわかった。寝るから」
「ならば途中までご一緒しよう。さあ」
「いやー、長義さんのエスコートとか恐れ多くて。可及的速やかに部屋には戻るので、長義さんもそちらから自室へ戻ってどうぞ」
「君の言葉に信頼がおけないな。そうやって執務室に泊まり込んでいるのを知っているが?」
「おおう。まるで興信所の人みたいだいね」
「馬鹿なことを言っていないで、さっさと奥に引っ込んで一刻も早く就寝すべきだ」

 あーもう、うるさいな。本当にうるさい‼

「寝ようと思って寝ると、目が覚めたときがっかりするんだよね。まーた目が覚めた。まーた生きていかなければならないのかって。寝るからさ、いつ寝るかのタイミングくらい私に決めさせてよ。寝たいとも思わないし、生きていたいとも思ってない」

 だから寝る前に、明日目が覚めませんように! ってお願いするなとあれほど。寝てる間に心臓がうっかり止まるような健康上のリスクもないわけで、就寝して一定時間がたてば覚醒するのは当たり前なのだから。

「…………」

 って私は長義相手になにを言ってるんだろう。うわほら、ドン引きしてるじゃん、本科。やべえやべえ、元監査官様は本丸の治安維持と健全な本丸運営にうるさいはず。政府に通報されてカウンセラーが派遣されてしまう。上司との面談がセッティングされてしまう。長義、部屋に戻る途中にバナナの皮を踏んで滑って転んで頭を打ってプチ記憶喪失になったりしないかな。今からでも仕込んどこうか、バナナの皮。

「……君は、生きていくのがいやなのかな」

 私が途方もない企てをしていると、長義は硬い声でそんなことを聞いた。おーっと、探られてる探られてる。これをうまくスルーして政府に通報させないためにはどう誤魔化したらよいものか。

「あ……まあ……人並みにね。人間、誰しも生きてたらそう思うこともあろう」
「死にたいのか」
「だから、人並みにね」
「自殺願望があるのか」
「まあそこまで積極的ではないけど、痛くない・苦しくない・誰かに迷惑をかけない、この三つが満たせるならやぶさかではないかな」

 こういうことを言うと、大抵のやつは「そんな都合のいい死に方はない」と言うのだ。というか私もそれには同意見だ。
 だから私がそれもそうだね、やっぱやめとく、とでも言えばこの話はここで終わり。通報もされずカウンセラー派遣も面談セッティングもされず、肩こりも治ってお金もたまりました! となるはず。やったね審神者ちゃん、貯金が増えるよ。

「それならひとつ、心当たりがある」

 終わる――はずだったのに。

「え、まじで?」

 思わず本気で聞き返してしまった。
 真実、死にたいかどうかはさておき、そんな方法があるならぜひとも出版して印税を稼ぎたいと思ったからだ。ベストセラー作家になって、やっぱり貯金が増えてしまうかもしれない。
 目を爛々と輝かせて聞く姿勢に入った私に、長義は感情の読めない顔でどこまでもクールに、本当だともと頷いてみせた。おぬし、やりおる。さてその方法とはいかに。

「痛くも苦しくもないし迷惑もかからない。試してみるか?」

 ははーん、山姥切長義。天使の仮面をかぶった悪魔だったというわけですか。寝起きでIQが一桁レベルまで低下していた私は、その怪しい誘いに二つ返事でのることとした。

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