そんな都合のいいものはない - 6/6

「長義、まだかな」
 今日も長義は私の部屋にいた。
 最初の頃は夜に忍び込むようにしてしかやってこなかった彼だが、慣れてくると昼間でも平気で顔を出すようになった。基本的に刀剣男士は審神者の私室にはやってこないが、どんな顔をしてここまで来ているのかが気になるところではある。
 私の問いに、長義は呆れたような顔をしてみせた。
「コーヒーゼリーなら今しがた冷蔵庫に入れたばかりだ、ともう何回も言っているが。君は鳥頭かな?」
 長義が当然のように奥のキッチンで料理するようになったし、私に向かってこんな悪態をつくようにもなった。それほどの濃密な時を、私と彼は過ごしたのだった。
 だから当然、準備はできているのだ。

「引継ぎ資料、昨日完成したんだ」
「引継ぎ……? なんのことかな」

 彼は本気で訳が分からない、と言ったような顔をした。頭のいい長義でも、うっかりすることがあるのだろうか。準備をするように言ったのは、あなたの方でしょう。

「長義、本当に私の生命力吸えてる? 最近、著しく健康なんだけど」

 体の不調は、以前より減った。夜はぐっすりと眠れるし、翌日体が重いなんてこともない。訳もなくイライラしないし、悲しくなったり、泣きたくなったり、……「唯ぼんやりとした不安」、これも近頃感じない。
 むしろ最近、妙に楽しい。心がワクワクするし、気持ちが軽いし、今日は何しようかな、これしよう、あれしよう、と色々と気力が湧いてくる。生きていたいと思うし、なんなら死にたくない。
 確実に来るだろう明日を待ち遠しく思うし、明日が来ない可能性というのを、恐れることさえもする。
 ありていに言えば――もうとっくの昔に、消極的な自殺願望は消えていた。
 長義は、訳が分からないという顔をしている。どういうリアクションなんだよ、と思わず笑ってしまった。

「待ってるんだよ。眠るように死ぬ瞬間」

 正直なところ、そういう願望はないのだけれど、長義とは最初からそのつもりでこういうことをやって来たわけで、長義はそれに協力をしてくれていただけだ。
 だから、今更私の方にその気がなくなったとかいうことになると、とても困ると思う。せっかく協力してやったのになんだそのざまは、君は初志貫徹さえできないのかな? とか煽られそう。全くその通りなので何も言えないけど。

「…………」
「…………」

 長義はなにも言わなかった。だから私も何も言わない。
 随分長らくの沈黙を挟んでから、長義は無言でそこを離れた。隣室に行って――戻って来た長義は、手に、長い物をもっていた。隣室の床の間に飾ってある、無銘の脇差だ。
 無銘なれど業物。この前長義が研いでくれたばかりなので切れ味も抜群だろう。そんなものをもってどうした。

「君は、死にたいのか」

 ひどく冷たい声で、長義は問うた。
 一応頷いた。何度も言うがそんな気は消え失せていたのだが、初志貫徹できぬ主と思われたくない一心で、肯定した。事実とは異なるが、約束をたがえる主であってはならない、これ以上失望されたくない。
 すると、長義は物も言わずに刀を鞘から払った。抜き身のそれをもってズンズンとやってきて、――私の胸倉をつかんで、それを構えた。
 まじか。最後の最後でそれなのか。
 でももう、痛いのも苦しいのも、この際我慢しようと思って目を閉じた。長義ならうまくやってくれるだろう。
 ただ、迷惑をかけないというくだり――長義が実行犯になるというなら、これだけはどうにもならない気がする。時間があるならダイイングメッセージを残したい。
 死んで詫びます、とかそういう感じのことを血文字で書いておいたら、詫びる内容とやらはともかく、何かを後悔して審神者は死んだんだな、と受け取ってくれるだろう。
 なにかそういうエピソードがあったかな。そう言えばこの前長義のヨーグルト勝手に食べたけど、さすがにそれじゃ動機として不十分だよな。しかもそのヨーグルトは億の冷蔵庫に入っていたもので、そもそも、なぜ長義のヨーグルトが奥の冷蔵庫にあるんだという話になるし。
 かといって、さすがに、死んで詫びるようなミスはまだ仕出かしてない。

 

 ――しかし、いつまで経っても、私の死が来ない。

 

 閉じていた目を開けると、ぱた、ぱた、と。
 目の前の両眼から、透明のしずくが流れてやまなかった。

「長義……?」

 山姥切長義が、泣いている。なんで泣いてるんだろう? こんな情けない主を持ったから落涙を禁じ得ないとか、そういうことだろうか。それは申し訳ないと思う。

「ここまでしても、だめなのか」

 震える声で、彼が問う。それはどこにかかる言葉なのか? いままで長義は頑張って私の生命力を吸い上げていたが、思ったよりしぶとかったからうまくいかなかった、そういうこと? それもやはり申し訳ない。

「なんか、……ごめん」
「ごめんで済むか! もうこれ以上……これ以上はどうすればいい……」
「一思いに、」
「うるさい!」

 それで刺せばいい、と言おうとしたらトーンの高い声でわっと怒鳴られた。金切声かな。こんなに感情むき出しの彼を見たのは初めてで、私は驚いてものも言えなくなった。
 透明のしずく、どこまでも澄んで清らかなそれを流しながら、どうすればいい、と長義は私の胸倉をつかんだままうなだれた。

「君が喜ぶことをした。君が楽しいこと、笑えること、気持ちがいいこと、俺にできることは何だってした。それでも駄目なのか。君は笑っていただろう。楽しんでいただろう。それでも駄目なのか。これ以上は何を与えればいいのかな」

 黙り込んでいたが、なんとか言えよとばかりに赤くなった目を向けられ、動揺する。油が切れたみたいに動かしづらくなっていた唇を、どうにか動かして言の葉を紡ぐ。

「え……いや……ごめん。とにかくごめん。泣かないで。長義に泣かれると、どうしたらいいか分からなくなる。ほんとごめん」
「謝るくらいなら……さっきの言葉を取り消せ」

 ぐっと胸倉をつかむ手に力が加わる。
 正面からとっくりと視線を合わせ、長義が緩やかに恫喝する。返事は、と言われてはいと言う。

「訂正……いたします。死にたくないです」
「では次にこう言え。生きていたい、長義のことを愛していると」
「生きていたい、長義のことを……え?」

 このとき、私の脳内になぜだか学生時代の英語の授業がフラッシュバックした。リピートアフターミー、教師の言葉に続いて英単語のフレーズを読む。まるでそんな塩梅だった。
 いやいや待て待て、私は何を言わされようとしている?
 目が点になって長義を見返すと、長義は不遜な顔つきをしてみせた。

「え、じゃない」

 涙をぬぐった長義は、赤くなった目元で不遜な笑みを作り――「ほら、せーの」と促した。

 

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