こっそりと本丸に戻ってきたら、そこを運悪く偶然燭台切に見つかり、そのまま広間まで連行された。どうにか手に入れたチョコレートはバッグのなかに詰め込んだので、多分誰にも見られていないはずだ。
「主、どこ行ってたの?」
「万屋」
「まさか、チョコレート買いに行ったり?」
燭台切は鋭いことを言う。どきりとしたけれど、平静を装ってヘヘヘと笑ってみせる。
「シャンプーもボディクリームもなくてさ」
「なんだ、ただの買い出しか。でも、今日は人出が多かったんじゃない?」
「私が回ったお店はそうでもなかったけど」
「まあ、賑わうなら昨日までか」
「といって、自分用に買ったんだけどね、チョコ」
「あー、やっぱりね。かくいう僕もそうなんだけどね」
そう言って燭台切は悪戯っぽく笑う。ていうか買ったのか、チョコ。意外だ。
嘘は言っていない。切れそうだったシャンプーの詰め替えやボディクリームも買い足したし、自分用のチョコも買った。本命は長義用のチョコだけど、……嘘なんてそんな、とんでもない。
そのまま皆で夕餉を食べて、――バレンタインだからだろうか、その日はデザートも出た。チョコレートのムースだ。器は可愛いし、ミントの葉っぱなんて添えてあって。本丸の料理当番の方が、よっぽど時事ネタに乗ってるわ。美味しいし見た目もいいし、私の生成した流血天使のクリーチャーとはまるで違う。甘いムースは敗北感の味がした。
しかしどのタイミングで長義に渡そう。
買いこんだ雑貨のため大きく膨らんだエコバッグを、肩からぶら下げて自室へ戻る道すがら、考える。
そもそも遠征帰りの長義が奥に顔を出すとも限らないわけで。まあ大体顔を出してはくれるが、出さないこともあるし。というか今日の遠征何時上がりだったっけ? 予定表を確認しようとしたところ――奥の建物から灯りが漏れていて、電気つけっぱなしだったっけ? などとちょっとした罪悪感が生まれた。
まっすぐにキッチンの方へ向かい、カチャカチャと金属がこすれるような音や水の流れる音、つまるところ純然たる生活音を聞いて血の気が覚めた。それが不審者の仕業などとは言わない。こんなことを、この奥で、審神者の領域で、出来るものなど、一人……否一口しか思い当たらなかった。
「長義……」
キッチンの入り口で恐る恐る声をかけると、流しでボウルやオーブン皿を洗う長義が振り向いた。遠征帰りとも思えぬ身綺麗さで、疲れも汚れも感じさせない清潔さで、彼は呆れまじりの表情をしている。
「おかえり、ずいぶん大慌てで出て行ったようだね」
「……ただいま。そして長義こそおかえり」
「ただいま」
皿の上には、流血クリーチャーたちがちょんと並べられている。オーブン皿を洗うためにどかしたのだろう、つまるところその存在を長義に周知されているということに他ならない。
最悪だ、死にたい。あの伝説のクリーチャーを見られるなんて。
考えた。どうやってこの修羅場を切り抜けるか。
私は動いた。
「ごめん、わざわざ遠征帰りに片付けてもらって。長義に片付けてもらうために残してたわけじゃないんだよ?」
「そんなこと分かっているさ、これは好きでやっていることだ」
「ありがとね。……ところで長義、お腹減ってない?」
そっと動いて長義の視界からクリーチャーたちをどける。自分の体で隠しながら、どこか見つからないところへ持っていこうと画策するが、
「あまり減ってはいないかな。まあ、それを食べるくらいの余裕はあるけれど」
「……そ、それ?」
「君が今手に持っている、どうにも俺から隠したいらしいその菓子のことだよ」
「…………」
普通に失敗に終わった。
縋るような視線を向けるが、長義は薄く微笑んだまま微動だにしない。
「……いやいやいや。こんなクリーチャー、長義様のお口には合いませんって」
「合う合わないかは俺が決めること。君が気にすることじゃないな」
「いやいやいや、ホント無理。大丈夫、ちゃんと高級なチョコを用意してあるから、そっちを食べて」
「主」
長義は手を拭いてこちらに寄って来た。背後にはキッチンテーブル、前方には長義。逃げ場はない。左右どちらかに逃げようとすると、長義は両手をテーブルについて、左右の逃げ場さえなくしてしまった。壁ドンの亜種である。
「主」
駄目押しにもう一度、長義が言う。ごくごく近い距離で。長義のいい匂いがするし、長義のいい顔が視界にちらついて、後ろめたさと多幸感とで酔いそうだ。いやいや無理無理と譫言のように続ける。
そうすると長義の手が、むき出しの手が、しなやかだけど割と無骨な手が、するりと頬を撫でて角度を固定する。こうされるともう、私は長義のいい顔を見ているしかない。
「主、駄目かな」
こいつはもう……自分の顔がいいのを分かっていてこういうことをするのだ。そういわれて駄目と言えるか。
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